木を見て森を見ず、ならぬ、枝を見て木すら見ない
Hello、しろのほう、祥子です。
先日、お仕事で関わっている会社の仲間と暑気払いをしてきました。
写真はそのときにいただいたお肉たち。
ひっさびさにがっつりモツをいただきましたよ…みんなでわいわい七輪つつくのも楽しかったです。
8月はイレギュラーに(いや、これからはそれがレギュラーになっていくことになるのですが、たぶん)全国飛び回る、くらいに動き続けた1ヶ月でした。
動くのには理由がある、というわけで、ある目標を達成していくための動きだったのですが、結果は成果としてはイマイチ。
ただね、いつもと違うことをたくさんしたことで、今まで気づいてなかったこと・見えてなかったことが振るい出されてきたのはとてもよかったと思います。
改善点がたくさん出てきたのも大きな成果だなと。
中でも、私の性格というか視点といいますか…物事や現象を、木を見て森を見ない、どころか
枝ばっかり見てて、木すら見えてない
のだなあ!!とよくわかってきたのですよねー。
全体把握が苦手と思っていたのですが、というよりも、全体に話を持っていくために木を見て使いたくなり、その木を持ち出すために枝や葉っぱが気になり、結果そこしか見てない・語ってない、という思考のクセがあったようで。
どうりで、伝えるお仕事をしている中で、何も伝えられないということもないけれど、最後自分で納得いくような話ができていないわけだよなー、と自分の状態が腑に落ちたのでした。
どんなに枝ばかり見ていても、その枝がどんな土から、どんな季節と気候のときに芽吹き、育ち、どんな花や実をつけるのか、どんな高さに育つのか、どのくらい生きるのか…などは見えてきません。
そして枝から木全体に視点を移したとしても、その木がどんな役割と性質も持ち、ほかの木々や生き物とどんな関係性の中で森となっていくのかは見えてきません。
逆に、たとえ森を見たとしても、そこばかり見ていては結局木や枝の詳細も見えてこないのですよね。
つまりは。
ようは木を見たければ枝も森も見たほうがいいし、全体だけでも細部だけでもそこだけ見ていたのでは肝心なところが掴めないということ。
大事なのはバランス、ということですね。
そしていいバランスを掴んでいくためには、もっともっと広い視点とやわらかな思考を持つことが必要です。
そのためも、さらなる経験を積んで、体感を増やしていきたい。
まだまだ動き続けて学ぼう!楽しもう!と、未来の「できてる」自分を想像している9月初日です。
枝を見る能力あるなら、森の観察もできるはずですからね!
2019年も残り3分の1、健やかに楽しく参りましょう。
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